日本人はすてたものではない、見直すべき日本人気質
 サッカーのW杯が終わり、祭りの後の静寂が訪れた。初めてアジアで、そして日本で開催された世界最大のスポーツイベントは、日本人を見直すよいきっかけになったような気がしている。
 前回触れたように、若者を中心に、予想以上の盛り上がりがあった。現代の日本人は共感、一体感を求めており、それがもうひとつのレジャーニーズであることも先に述べたが、その熱狂ぶりは海外メディアの目には異様に映ったり、感心されたりもしたようだ。
 なぜかというと、日本チームオンリー、すなわち国粋的ではなく、奇妙なまでに公平であるという点においてであった。キャンプで訪れた国の代表を応援するだけではなく、憧れのスター選手がいる、あるいは強豪チームである、また逆に前評判では弱いからという判官ひいきのケースさえあった。
 そのため、日本人サポーターのお行儀のよさ、無邪気なまでの公平さが、時には選手の身に危険さえ及ぶことがある強豪国のサポーターの言動と比較されたのである。
 だが、日本人は本来、穏やかな礼儀正しい気質であることは、維新前後の外国人の書物に幾度も述べられていることだ。しかも古くから海外の文物を積極的にとりいれ、アレンジして自分のものとしてきた民族である。もともと基本的に、日本人はインターナショナルなのである。
 その国民性を発揮するのは、いよいよこれからなのではないか。その意味で我々はもう少し自信を抱いてもよいような気がする。IT時代が到来して、島国であることはもはやハンディではなくなった。とすれば、唯一残る課題は言葉の問題だろう。せめて英語くらいは…。                (N)
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